元衆議院議員 中西一善

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国会ニュース 5月号掲載 平成16年5月1日発行

 

とかく「諸行無常」の世の中だからこそ、
弱い者の視点を忘れずに信念を貫くのです。

 

 中西一善さんは中小企業や町工場の多く集まる大田区で生まれ育ち、自らもベンチャー企業を立ち上げた。都議会を皮切りに、華々しく政治の世界に躍り出たが、その背景には父親の会社倒産という憂き目も経験している。そんなマイナスをプラスに転じられる発想力、行動力はどこから来ているのか。負けじ魂の根源を尋ねる。

くず折れる父の姿に、「諸行無常の響きあり」

  大勢の方から沢山のことを教わりましたが、一番強烈な教えを得たのは父親からです。私の父は戦後、地元の大田区で町工場を興し、1000人規模の会社にまで成長させましたが、昨今の構造改革の痛みのあおりで、2年前に倒産。そのショックたるや大変なものでした。
 丸裸になった父の姿を見て、つくづく感じたのは「親が子供に遺すべきは、金銭ではなく、ものの考え方や信念、哲学なのだ」と。それと同時に、この世は「諸行無常」であると痛烈に感じた。
 実は私は最初に都議選挙に出馬し、一期目の当選を決めた時、最下位でした。127人いる都議会議員の中で、最後の最後に六百票の僅差で、真夜中に議席が決まりました。次の二期目では大田区始まって以来、自民党始まって以来の得票数でトップ当選を果たしました。欣喜雀躍、喜び勇んで都議を務めていた矢先に、父の会社が倒産したのです。
  誰しも「自分に限って、災害には遭わない」と、思いがちですが、実際はいいことも悪いことも連続して起きる。
  父の倒産から学んだのは、いいことがあった次には悪いことが起きる可能性があると。その一方で、悪いことがあれば、その次にはいいこともあるのだと。昔から「かふく禍福はおのれ己によ由る」「かふく禍福はあざな糾えるなわ縄のごと如し」というのは本当なんです。
  倒産した時、父親は70歳をすぎていました。とても気が強かった父が脆くも崩れさっていく姿をみて、私は「この不況も、このデフレはただものじゃない」と痛感しました。町の経営者にとって、資金繰りは生きるか死ぬかの大問題です。年間3万人もの人が自殺する今の世の中は、どうかしてやしませんか。

強い者とケンカしてもいい、弱い者イジメだけはするな

  地元で父の会社倒産が話題になった頃、既に衆議院選挙出馬を決めていた私は、「これでは選挙に悪い影響が出ても、しかたがないなあ」と思っていました。そんな時、地元の方たちに「構造改革の痛みを知っているあなただからこそ、我々の痛みを代弁し、国会で訴えてくださいな」と言われ、励まされました。これは嬉しかったですね、本当に。
  私は政治家の家系でもなんでもありません。ごく普通の家庭で生まれ、町工場で育ち、父の会社倒産を目の当たりにした人間です。私の地元、大田区は周知のように東大阪と並び、日本で随一の中小企業の集積地ですが、その大田区の声を国会で代弁できるのは、衆議院広しといえども300人の内でたった1人しかいない。「ならば大田区民の声を国政に届けたい」という一念で出馬し、小選挙区制開始以来、初の民間出身の国会議員になれた。
  倒産というマイナスがあったからこそ、国会議員へのプラスの道が開けた。でも「諸行無常」の世の中で、いつまた困難に直面するかわかりません。いつ、いかなる時でも「諸行無常」を忘れるなという父の教えを、今も噛み締めています。

どんなにマイナスも、プラスに転じる

 そもそも政治家を目指し始めたのは高校生の頃からです。両親の教育の影響で、「勧善懲悪」が好きなんです(笑)。小さい頃、母が「ケンカするなら、自分より背の大きな人か、年上の人とやれ」と(笑)。要は、自分より力の弱い人、年下の人とは絶対にケンカするなと教えられた。
  母の教えは、国会議員になった今でも、私の心の中に生きています。政治とは、本来、強い者にはあまり必要ないのではないかなと。強い者、つまり実力のある人たちには、政府や行政は規制をせず、自由奔放に儲けさせればいい。彼らにどんどん儲けてもらい、税金を納めていただけばいい。
  ただし強い者、弱い者の前提には所得の格差だとか、生来の運不運、その他諸々の条件の違いがある。そういう弱い者に対しての視点を、絶対に忘れてはならない。まさに弱い者の視点に立つことが、政治家の役目だと言っても過言ではありません。
 現行制度の中には、いわば高度経済成長型の、失敗を前提にしていない法律が多々あります。これから小さな政府をめざすのであれば、貧富の格差は絶対に課題になってきます。だからこそ政治家は弱者の視点を持ち、社会的なセーフティネットを用意しなくてはならない。

師・中曽根康弘氏に学ぶ、理論と実践のバランス

 「国家観なきところに、政治なし」と考える私の、政治における師は、やはり元総理の中曽根康弘先生です。政治家として、実にしっかりした「国家観」を持っておられる。
 中曽根さんの国家論を聞いた時には、それこそ「目からウロコが落ちる」思いでしたね。比喩で「目からウロコが落ちる」と言いますが、文字通り扉が開くようにスパーッと心の目が開かれた。
 なんというのかスケールが全然違う。人間の器が大きい。経験に裏打ちされた哲学でなければ、言葉に、ああは説得力が出ないでしょう。
  実は私は昔から現場主義でして、早大ではボートセーリングのサークルを主催したり、政治問題研究サークルを作ったりして、卒業後は友人と3人でベンチャー企業を立ち上げました。
  他人と同じレールを進んでいては、見えるものも同じになってしまう。なにごともやってみなければ、見えない。
 というのも、政治家の道を歩むと決めた高校時代に、父から「これからは変革の時代だ。今までと違う政治家をめざすのならば、今までと同じ道ではダメだ。それでは今までと同じ発言しかできなくなるぞ」とアドバイスされたからです。
  だから官僚、政治家という、政治家になるための王道も選ばなかったし、議員秘書から議員になる方法も選びませんでした。あえて民間出身の道を選びました。「国民がこの世の中を支えているのだ。民間のメシを食わなければ、民間の気持ちは到底わからないぞ」という父の言葉が身に沁みて、私の現場主義につながっているんです。
  ニューヨークの9.11テロ直後の現場にも足を運びましたし、今回の自衛隊派遣についても、現場の自衛隊員がどう考えているのか聞きました。彼らが命がけで国を守ろうとする姿を肌身で感じて、感動すると同時に、法律を作る立場の国会議員がだらしないことをしていたら恥ずかしい、と身が引き締まる思いです。

雨に濡れて、露恐ろしからず

 私は、国民の声を聞くことも、大先生にお話を聞くことも、両方とも一つの「現場」だと思います。常に「現場」と理論の両方のバランスが取れないといけない。そういう意味でも中曽根さんは、実にいい具合に理論と実践のバランスが取れている。
 失敗や挫折を体験したり、身近に見聞きしている人は、打たれ強い。逆に、失敗経験のないエリートは、失敗した時にどうなるのかわからない脆さがある。私もたかだか39年の短い人生しか生きていませんが、晴れの日も雨の日も経験してこそ、人間の器は磨かれるのだと感じています。

両親のDNAを、わが子孫に伝えたい

 私自身、3人の男の子の父親でもありますので、親が子に教えることの大変さを痛感しています。自分自身の経験を振り返っても、子供の頃は母に「勉強しないと、お父さんに言いつけるわよ」と嚇かされてイヤイヤ勉強した(笑)。
 塾通いも嫌でしたけれど、母のご機嫌を損ねるのはもっと恐ろしく、言うならば母親にゴマをするために勉強していたようなものですよ(笑)。
 「お母さんを怒らせないために勉強しよう」と思わせた母は、結構すごいなと。小学生に学問の意義とか、勉強する意義を哲学的に教えるのは難しい。
 叱るのも愛情ですから、母親に言ってもらうしかない。だから私も子どもには「勉強しなさい」とは言わず、「お母さんの言うことを聞いているか」と言う。これはもう理屈じゃないんですよ。
  だけど、息子には息子の人生がありますから、私は子どもたちに「人の役に立つ、偉い人になりなさい」とだけ伝えています。そのついでに、「勉強をしないと、人の役には立てないよ」と付け加えていますけれども(笑)。
 我が家の方針で、私は父の会社の株を持っていませんでしたし、母が亡くなった時も、1円も遺産相続をしていません。そのかわり両親からは生きる哲学と気概と志、そして尊い命を受け継ぎました。両親からもらったDNAや素養によって、国会議員である今日の自分があり、有権者の声を国政に反映する大事な務めを担っている。
  しかし、その世とて「諸行無常」ですから、この先どうなるかわかりません。自分自身、いつ病気になるかもわかりません。しかし、いつなんどき、何があっても後悔しないように、沢山の方々から教えを頂いて、自分に与えられた国会議員としての任務を全うしてゆきたいたいものです。

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